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第1節 俺はゾンビが存在する世界でドアノブに手をかけた。

last update Last Updated: 2025-10-30 23:22:23

「パソコン、貸しなさい!」

そう言って、美咲はクローゼットからジャージとTシャツを引っ張り出し、ノートPCを立ち上げる。

「アンタはスマホ。関連情報を洗って。真偽と実態を」

命令口調。

けれど、それでこそ美咲だ。

あの動画はなんだ・・・という興味のまま指を動かそうとした。

ふと、胸を締め付けるような不安がよぎる。

あれ、エロサイトを見て、そのままスリープしてなかったか?

冷や汗。

サッと視線を向けた先、美咲の立ち上げた画面はホーム画面だった。

──セーフ

ほっと息を吐いて、検索窓に指を走らせる。

まずはSNSだ。

映像の断片が次々と流れてくる。

渋谷の路地。誰かが悲鳴をあげ、群衆が散る。

複数のアングルで同じ場面が映っている。

立っている男の腹部から、ヒモのようなものが垂れ下がっていた。

・・・内臓?いや、ベルトにしては太いし、血に濡れていた。

警察が駆けつけ、取り押さえられている写真もあった。

返信欄を追う。

「薬物中毒らしい」

「精神病だって」

「内臓はコスプレ小道具だろ」

・・・真偽不明のコメントが洪水のように流れてくる。

眉を寄せながら情報をまとめていく。

「複数の角度で撮られてる。捏造じゃなさそうだ。錯乱ってニュースもある」

本当っぽい。

だが、何なのかは分からない。

世の中には、意味不明な暴れ方をする奴なんて沢山いる。

駅前で怒鳴り散らす酔っ払いも、電車で急にキレる男も見てきた。

日本は広い。

変な奴はいる。

でも。

あの内臓みたいなものは・・・なんだ?

結論の出ぬまま、美咲に話しかける。

「動画は本物っぽいぞ」

こちらを向く美咲にスマホを見せる。

「複数の角度で撮られてて整合性もあるし、犯人は捕まっている。ニュースもあった。《錯乱の可能性》だって。……あれは、ベルトでも垂れてたのかなぁ?内臓は無理だろ」

「動画を拡大してみたけど、あれは大腸ね。腹腔が裂けている。痛みで呻くことしかできない重症のはず」

一拍置いて、冷ややかに断じた。

「走るなんて絶対無理。それに、あの出血量は致命傷レベル」

心臓が跳ねる。

「でも、走ってたぞ」

「だから異常なの」

美咲の声が部屋に冷たく響いた。

「あり得ないことが起きている」

「つまり──死にかけでも動ける人間がいる。もしくは、死んでも動く人間がいる」

──死んでも動く人間

俺はそれを知っている。

ほら、何度も人類を滅ぼしてきた、《アレ》だ。

「それって……ゾンビじゃん」

口から勝手に零れていた。

真顔で頷く美咲。

ためらいもなく、論理の延長として。

ゾンビ?あのゾンビだって。

あり得ないだろ。物理的にも、生物学的にも考えられない。

仮にゾンビがいると認めたとしよう。

流石に人類は滅ばないよな?

──本能のままに動くだけの素手相手だぞ?

と頭の中でゾンビの愚かさについて検討していると、美咲がPC画面をこちらに向けてきた。

「見なさい」

モニターには雑多な情報が並んでいた。

・暴徒が増えているとする複数言語の海外記事

・感染症専門医ブログ 世界的暴徒の広がり方と感染経路を考察

・WHO声明──《感染性は不明、世界的に治安の懸念》

さらに、美咲は数字を差し出してきた。

「昨日から動画サイトに国内の《暴力事件》動画が急増してる。過去1ヶ月で500件。過去1週間で380件。そして昨日1日だけで──350件!」

言葉を失う俺。

「襲い方は似てる。タックルして人を倒す。男も女も。大体その場で揉み合いになって取り押さえられてる」

「でも、犯人が死んでいたという情報はない。WHOは病気だと声明している。だから多分、生きている」

結論が静かに落ちてきた。

「つまり、生きていると思われる凶暴な《人間》が、世界中で増えている」

「そして、この暴力は、感染する可能性がある。感染症の医師がブログに乗せていたわ。世界的に同様の発症があること、その拡大が航空網で説明できると考察していた。読む限り、そのロジックを否定できない」

・・・もう冗談では済ませられそうになかった。

「これはデマ……じゃないな。真剣に調べれば、情報は山ほどある」

「でもさ、警察が捕まえてるんだ。映画みたいに世界が崩壊するなんて……ならないだろ?」

答えを期待して、美咲を見る。

彼女は何も言わなかった。

無言の横顔。その沈黙が、今はどんな言葉より恐ろしい。

「……美咲?」

やっと返ってきた声は、低く固かった。

「どうでしょうね」

美咲の目がPCを向く。

「警察がコントロールできるなら、それで終わり。できるかどうかは……分からないわね」

胸の奥で冷たいものが落ちる感覚があった。

美咲が顔を上げる。

難しい表情で、はっきり告げる。

「コントロールできなくなる可能性があると考えて、準備した上で様子を見る。不確実なら悪い目に備える。それが原則よ」

営業ではヤバいと感じたら悲観的に対応・・・いつも美咲に言われていることだ。

「今日は金曜日だから明日も明後日も休みよね。この際……」

一呼吸置いて、美咲が微笑みかけてくる。

「アンタの家に引きこもりましょ!」

彼女の目がキッチンへ向く。

「……って、食材ないんだったわね」

冷蔵庫を開け、呆れた声が響く。

「なーんにもない」

俺も棚を漁るが、出てきたのは、カップ麺と缶ビールが数個。

「これじゃ、明日の昼までね」

俺は顔を逸らすしかない。

ゾンビなんて予定外だ。

「米はある。飢え死にはしないさ」

「夏よ。水が要る」

美咲は即座に切り返す。

「停電すればエアコンが止まる。窓を開けられなければ熱中症。水が尽きればおしまいよ!」

蒸し風呂になった部屋で「あぢー」という自分を思い浮かべる。

言葉を失った。

その光景に不快を通り越して、《死》すら感じたから。

美咲が結論を下す。

「日曜までは引きこもって全力警戒!これから、水と食料、使えそうなものを買っておきましょ!」

「コンビニなら近いけど……外に出るのは危険じゃないか?」

「危険よ。でも、水も食料も無しでは生きられない……。リスクを取りましょう」

美咲はお風呂場からタオルを、クローゼットからガムテープを取り出してきた。

手早く左前腕にタオルを巻き、ガムテープでぐるぐるに固定する。

その上から冬用コートを羽織る。

「万一の時は左腕を噛ませる。噛まれていない方がそいつを突き飛ばして全力で逃げる・・・今、思いつくのはこれくらいね」

俺は思わず息を呑んだ。

彼女はすでに戦闘のイメージを現実に落としている。

「リスクはゼロにできない。だから、取る」

美咲の声は鋭く、しかし揺るぎなかった。

ドアの外が怖い。つい数時間前帰宅したときまで外にいたのに。

今は怖い。

左腕を噛ませる?噛まれていない方がソイツを突き飛ばして逃げる?

本気か。言葉は分かるが、イメージができない。

「出る前に方針を決めておきましょう」

「無警戒で歩いたら、死にに行くようなもの」

その言葉に、俺は自然と背筋を伸ばしていた。

「警戒するの。それがアタシたちにできる最大の防御」

「出会えばきっと死ぬ。だから、先に見つける。変な動きをしている人、走って近づく人。人に見えてもできる限り近寄らない」

頭に叩き込むように、一つずつ指を折る。

「遠くで見つけたら、すぐに引き返す。家に引きこもる」

俺は頷いた。

「……玄関ドアは破れないよな?」

「ええ。素手の暴徒程度なら。だから室内にいれば安心できる」

美咲は窓の外をちらりと見た。

「2階だから、ベランダから入られることもない。数日は大丈夫」

少し呼吸が楽になった気がした。

「警戒して、何かあれば引き返す」

声に出して確認する俺。美咲が頷く。

あれ、こういう時手にするものがない。

「美咲、武器は?」

「考えたわよ。包丁でもバットでも。でも無理」

「銃刀法違反で捕まるわ。コンビニに行くために交番の前を通る。職質されたらそれで終わり」

「だから武器は持てない。防御だけ。戦わずに済ませるしかないのよ」

いや、それは縛りプレイすぎるだろ・・・。

「じゃあ、もしも、出会ってしまったらどうするんだ?」

美咲は即答する。

「先に見つけて逃げるの。それが唯一の選択肢……」

「逃げられなかったら?」

「さっきの作戦の通りやれば、《運が良ければ》生き延びられるでしょ」

──運が良ければ

勘弁してくれ。

「あのね、全力でタックルしてくる痛みを感じない男を想像してみて。きっとアタシは吹き飛ばされて、そのまま腕以外も噛まれて死ぬわ」

「・・・」

死ぬ?

美咲が?

いや、俺も死ぬのか。

あまりにも、現実感がない。

フワフワと浮いているような気分だ。

でも、左腕に固く巻かれたタオルとガムテープ。

夏に着るクソ熱い厚手のコートだけが現実だった。

締め付けと暑さが、否応なく現実を突きつけてくる。

「悟司、準備はいい?」

準備・・・その言葉に意識が研ぎ澄まされる。

一つだけ確かなことがある。

最悪でも美咲は守る。

それだけで身体に芯が通った気がした。

「あぁ、行こう。先頭は?」

「アタシよ」

「ドアは俺が開ける」

美咲を押しのけ、ドアスコープを覗き、鍵を開ける。

振り返り、美咲が頷くのを確認し、俺はドアノブに手をかけた。

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    体育館に歓声が響いている。業界団体主催のフットサル大会。俺もゼッケンを着けてコートに立っていた。運動はそこそこだが、フットサルは得意じゃない。必死に走り、足元に転がってきたボールを、ただ前へと蹴り出した。苦し紛れだ。その先に、彼女──美咲がいた。俊敏にボールをトラップし、身体をひねって相手をかわす。一瞬で加速、一直線にゴールへ。──シュート!ネットが震え、体育館全体に歓声が広がった。仲間に囲まれ、満面の笑みでハイタッチする美咲。汗に濡れたセミロングの髪が揺れ、光に照らされた頬は健康的に輝いていた。・・・すげぇ。声には出さない。俺はもう息が切れ、肺が熱を持っている。膝に手を置き、俺はただ胸の奥で呟いた。──才色兼備、文武両道。まさに高嶺の花と言われるだけはある。だが、俺は、女というより、人としてアイツを尊敬していた。住む世界が違う。見上げる高みに君臨するエリート。悔しさすらなく、自然とそう思った。同期として後ろから応援するだけ。それが相応しいし、それでよかった。歓声の輪の中で、美咲が一瞬だけこちらを見る。ふん・・・やるじゃない。そんなニュアンスを感じた。気のせいだろう。あのゴールは美咲のプレーだ。誰がやってもきっとゴールしていたはずだ。*【6月20日(金曜日)19:47】──ブルブル懐かしい夢から俺を引きずり出したのは夢に出てきた張本人。──メッセージ1件。19時47分。美咲:今からアンタんち行くから!都合を聞かないこのやり取りにも、もう慣れた。「了解」と返す。待ち受けには、スーツ姿で腕を組む美咲の写真。アイツと付き合い始めたころに「写真ないか?」と言ったら、秒で送ってきた。後輩の彩葉に撮らせたらしい。ノリノリでポーズを決める二人の光景が目に浮かぶ。「さてと……最低限片付けるか」呟きつつ、ベッドから腰を上げる。今日は金曜日。週末だからと油断して、スーツを脱ぎ、そのままベッドで寝ていたようだ。散らばったジャケットとズボンを拾い上げ、クローゼットに仕舞う。机の上に置きっぱなしのコンビニ袋とビールの空き缶をまとめてゴミ箱へ。今週溜めたゴミを排除するのに10分もかからなかった。なんせ、8畳一間のワンルームだ。仕上げに掃除機をかければやることもない。

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